2013.5.5(日曜日)
横須賀からの帰宅途中、山友の黒ちゃんから「明日、友達と飯綱山へ
行きますが一緒に如何ですか」とのメールが届き「行く~~~!」と即答(笑)
伊藤さんにも参加してもらいWペアで残雪の飯綱山を楽しんできました。
 
久美ちゃん(黒ちゃん友人)は今回が初登山とのことでしたが、
バテることなく終始笑顔で歩かれ、長野組メンバー入りの期待が大きい♪
 
 
 
 
飯綱山鳥瞰図/拡大可
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管理事務所標高 1126M 標高差 791M 総歩行距離 8767M
 
 
一の鳥居管理事務所駐車場(トイレ有り) ※南登山道登山口までは約15分の行程
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一の鳥居管理事務所駐車場(トイレ有り) ※矢印から登山口へ向かう
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しばらく杉林を歩く
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別荘地帯の直線舗装路を上り込む
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飯綱山南登山道・登山口(数台の駐車可・トイレ無し)
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第二石仏・釈迦如来さまを真似る久美ちゃん
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第六石仏・弥勒菩薩さまと同じ姿で・・・
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第十石仏・阿弥陀如来 
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第十一・阿閃如来(駒つなぎの場)でひと休み 
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横浜からお越しのご夫婦とは駐車場から山頂まで終始ご一緒でした 
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掲載許諾済み 
 
 
第十二石仏・大日如来  忍・忍・忍・・・
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長野組・山友「松さん」制作の注意書き 
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天狗の硯岩 
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長野カントリ-&大座法師池の展望/拡大可
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南・西登山道分岐点 
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黒ちゃん頑張ってるけど、MIZUOさん見てるかな~~~
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飯綱山南峰が近い 
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山頂(南峰)直下にもかかわらず一年中涸れることのない「神の井戸」 
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飯縄神社 
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飯綱山南峰・1909M 
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山頂近辺の残雪地帯を歩く 
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最奧中央左から・焼山、火打山・妙高山(妙高手前は黒姫山)/拡大可
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前方に見える山頂まであとチョットだが・・・ 
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こんな遊びにハマッテしまいました(笑) 
 
 
モグラたたき・・・
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じゃ、ないぞ~~~!
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あぁ~、いい湯だな~~~!  混浴を楽しむ伊藤さん
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飯綱山山頂・1917M ※長野市民は標高を「低いな飯綱山」 と記憶します
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ブロ友・MIZUOさんの期待に応える良き仲間達・・・(*^▽^*) 
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番外編
 
 
伊藤さん公認・伊藤さんポーズ(笑)
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長野発 8:50 ~ 管理事務所P着 9:20 
一の鳥居管理事務所(トイレ有り)P発 9:36 ~ 南登山道登山口 9:53
~ 奥宮一の鳥居 9:58 ~ 旧一の鳥居跡 10:06 
~ 第一・不動明王 10:08 ~ 第二・釈迦如来 10:15
~ 第三・文殊菩薩 10:20 ~ 第四・普賢菩薩 10:24
~ 第五・地蔵菩薩 10:27 ~ 第六・弥勒菩薩 10:33 
~ 第七・薬師如来 10:37 ~ 第八・観音菩薩 10:41
~ 第九・勢至菩薩 10:44 ~ 第十・阿弥陀如来 10:50
~ 馬頭観音 10:52 
~ 第十一・阿閃如来(駒つなぎの場) 10:53-11:25
~ 第十二・大日如来 11:27 ~ クサリ場 11:29
~ 天狗の硯岩 11:36-48 ~ 第十三・虚空蔵菩薩 11:51
途中休憩 12:10-14 ~ 西・南登山道分岐点 12:20 
~ 鳥居・石祠 12:27 ~ 神の井戸 12:31
~ 飯縄大明神 12:34-40 ~ 飯縄山南峰 12:42
~ 雪穴遊び 12:53-13:08 ~ 飯縄山山頂着 13:09-14:00
山頂発 14:00 ~ 南峰 14:10 ~ 南・西登山道分岐点 14:16
~ 第十三石仏 14:36 ~ 天狗の硯岩 14:38
~ クサリ場 14:42 ~ 第十一石仏・駒つなぎ 14:52-15:01
~ 第九石仏 15:07 ~ 第七石仏 15:11 ~ 第六石仏 15:13
~ 第五石仏 15:17 ~ 第三石仏 15:21 ~ 第二石仏 15:23
~ 第一石仏 15:28 ~ 旧一の鳥居跡 15:30
~ 奥宮一の鳥居 15:36 ~ 南登山道登山口 15:39
~ 管理事務所P着 15:55
 
飯綱山とは 
飯綱山は、初め飯綱大明神と称し、天皇足穂命が降臨した所として崇められていたが、
天福元年(1233)水内郡萩野城主、伊藤兵部太夫忠縄が山頂に飯縄大権現を祀り、
修行の後、神通力を得て、百才以上の長寿を得たという。その子、
次郎太夫盛縄もこの山に入り修行、
霊験を得て妖術「飯縄法(いづなほう)」を編み出し、「千日太夫」を名乗った。
以後、子孫が千日太夫を世襲して、この妖術を世に広めた。
飯縄法とは、管狐と呼ばれる鼠ほどの小動物を飯綱山から得て、
長さ四、五寸の管に入れて養い、常に懐中して、この小動物の霊能を用いて
術を行ったという。
伝説では、この管狐は著しい霊能力を持ち、変幻出没自在で、予言をなし、
人になつき、飼い主には非常な利益をもたらすものと信じられ、恐れられた。
殊に戦国時代の世に武将の間で、優れた妖術として熱い信仰を集め、武田信玄は、
飯縄大権現の小像を懐中して、守護神としたと語られ、山形県上杉神社に遺される
上杉謙信の兜の前立には、飯縄大権現の尊像が祀られているのである。
元来、飯綱山の麓、長野県上水内郡、下水内郡の辺りでは、飯綱山の残雪を
「種蒔き爺(じ)っさ」と視て取って、苗代の籾播きをする慣わしが在り、
農耕を司る守護神として山を崇めてきた。
こうして農耕神としてあった飯縄大権現が時代の趨勢に伴って戦神として崇められ、
戦国武将の熱い信仰を寄せられた。
時代が降って、徳川幕府の天下平定による平和な時代の訪れと共に、
「飯縄法」の妖術は「邪教」の烙印を押され、厳しい禁制の下でその使命を
終わる事となった。
ウィキペディアより抜粋